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解体付き墓つくり
2024.02.07
仏像について
人びとが仏像を作ろうと思った時、まず注意しなければ成らなかった課題は偶像問題です。
それがもっとも多様に発展した地域はエジプトで、古代エジプト文明は多様な偶像が発達していました。
さらに東方のイランやインドでも偶像崇拝があったといわれ、その多くは多神教でした。
古代西欧文明の元祖ギリシャ文明も多神教で神像が作られましたが、
偶像崇拝的では必ずしもなかったようです。
その影響を受けて紀元前後に仏教では仏像が作られ始めました。
具体的には釈迦の修行の姿や釈迦の生涯が彫刻に刻まれていました。
さて、仏像がどういう姿をしているか、どんなお顔をされているかについては、
仏教徒が釈尊を理想的な人物としたので、できるだけ気高く気品に満ちている必要があります。
つい手を合わせたくなる様なお姿が大切です。

初期の仏像には、ギリシャ彫刻の神像の影響を受けたガンダーラ仏では哲学的思索する仏陀があり、修行の厳しさと思索する難しいお顔をしています。
それに対してインド最北部のマトウーラ仏はさとりを開いた喜びに満ちた笑顔のお顔をされています。
この両者が複雑に関係し、影響しながら、周辺の土地から四方の遠隔地に伝わって行きました。
それぞれの地方、国々の文化伝統の違いによって差違の見られる多様なお釈迦様の仏像が作られました。
それでもその国々の人びとが理想的な人物像としたことは共通します。
さらに仏像を作る材料は始めは石像でしたが、最高の石とされる玉製や水晶製もあります。
金銅製、まれに鋳鉄などの金属製は金・銀製を最高とします。
それが仏教が伝わった最遠方の日本では木造が普及しました。
インドや東南アジアにも木製仏像がありますが、白檀・紫檀などの檀木製が香り高い仏とされました。
日本には檀木は無いので、楠樟や桧製、さらに欅、栢木なども仏像材料に選ばれたようです。
なお、日本への仏像渡来は六世紀に朝鮮半島の百済から金銅仏が伝わったとされますが、
三世紀に邪馬台国の卑弥呼に魏王朝から下賜された鏡の中に仏像が刻まれている仏像鏡が最初です。
この仏像鏡は実は東アジアの仏教の歴史だけでなく、中国文化や日本文化の歴史を考える上でとても興味深いものです。。

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