石塔ってな~に?
皆さんこんにちは。
営業部の平田です。
7月もあと一週間となりました。
来月にはもうねぶた祭りですね。
今年は夜が比較的涼しいので大変助かっております。
さて前回からの続きです。
石塔は石の卒塔婆の略です。
石で造ったおしゃか様の仏舎利のあるお墓、
つまり「仏塔」になるからです。
しかしこれでは、私たちのお墓になりません。
ところが多武峰の談山神社(奈良)にある木造十三重塔は、
大化の改新の立て役者
藤原鎌足のお墓といわれます(「三代実録」天安二年「多武峰蜂起」ほか)。
おしゃか様の仏舎利でないお骨を納めた最初の塔です。
卒塔婆の意味が、「人々のお骨を納めるお墓」へと変わったのです。
しかし鎌足のお墓は、有力な阿武山古墳(大阪・茨木)があるので、
どうも後代の作り話のようです。
卒塔婆(石塔)の最古の記録は、天台宗中興の祖・良源(元三大師・985年没)の
「石の卒塔婆を埋葬地に建てよ」という遺言(国宝「遺告」)です。
またその弟子で「往生要集」を著した有名な源信(恵心僧都・1017年没)も
「卒塔婆一基を建てて一同の墓所と定める」(「二十五三昧起請」)といっています。
平安後期には、天台宗の高僧たちによって「石塔」がお墓として使われ始めました。
しかしその形を書いていないので、残念ながらわかりません。
それでは次回に続きます。
小畠宏允 日本人とお墓シリーズ「石塔ってな~に」より