弘前市にある国指定重要美術品
弘前市中別所の板碑
皆さんこんにちは
営業部の川原田です。
板碑(いたび)とは中世仏教で使われた供養塔です。
◆中別所板碑群と呼ばれていますがその数は62基といわれ
まさに「群」と呼ぶにふさわしい数です。
また故人の供養のほか、来世の幸福を願って
生前に造塔して礼拝するために建立されたものもあるようです。
設立時期は
鎌倉時代から室町時代前期に集中しています。
分布地域も鎌倉武士の本貫地と
その所領に限られ、鎌倉武士の信仰に強く関連すると考えられています。
◆多くの板碑の上部には
仏の実体を表す種字(しゅじ)が梵字(ぼんじ)で刻まれています。
しかし
戦国期以降になると、急激に廃れていきました。
既存の板碑も廃棄されたり壊されたり
さらには用水路の蓋などに転用されたものもあったそうです。
青森県に
遺されている板碑は
そのほとんどが津軽地方に集中しており
県南地方で確認されているものは、ほんのわずかな程です。
弘前市中別所(なかべっしょ)の
地区には数多くの板碑が遺っています。
◆上部に剛界大日種子が薬研彫で彫刻されています。(重要美術品)
正応元年 1288年 制作 高さ 173Cm 幅 67Cm
中でも「中別所板碑群」は
国指定重要美術品に指定されています。
大小ある板碑の中でも
ひときわ大きなものは年号から「正応の板碑」と呼ばれております。
造塔者は
源光氏(みなもとのみつうじ)という人物で
長勝寺にある梵鐘の銘文にも
その名が刻まれている程の当時の豪族だったようです。
下部には
「立之志者奉為高椙故西円」
「正応元年戊子7月廿3日源光氏敬白」などと刻まれており
源光氏が
父・西円の35日供養のために建立したことが分かっています。
こうして数多くの板碑が並び立つ様はなかなか壮観です。
◆上方に阿弥陀三尊の種子が彫られている。当時は地元で多く採掘されていた
「兼平石(かねひらいし)」で制作されています。
供養の対象となっている
シンボル(形)は時代と共に変化はしていますが
故人を供養する「行為」は
700年経った今もなんら変わらないんですね。
改めてお墓の
「本質」に触れたような気がします。
次回に続く