先祖供養⑥
こんにちは!弘前店の植田です。
今日も前回の続きで、「よいお墓ってあるの」
『深い河』とお墓についてお話します。
日本人とお墓シリーズ 小畠 宏允著
「先祖供養ってな~に」より
遠藤さんのいう「人生」とは「魂」の問題ではないか、と気づいたのです。
「人生」とか「魂」と言っても、けっしてむづかしい哲学や宗教のことではありません。
遠藤さんの言葉を借りると、
「人間にとってかけがえのない結びつきが何であったか」を知り、
「人生のなかで本当にふれあった人間」を思うことです。
この世に生まれて、利害や損得をぬきにふれあい信じ合うことが、
どんなにかけがえのないことか、そこに気付くことです。
それがわかる人を本当に「心の豊かなひと」、「教養のあるひと」だと私は思います。
学問・知識・お金・物質だけが「豊かさ」ではないはずです。
本当の豊かさがわかった上で学識や財産があるなら、
もちろんそれに過ぎることはありません。
「人生」と「生活」のちがい
西洋のキリスト教社会に古くからラテン語の「メメント・モリ」=「死を思え」
という伝統があります。
宗教や歴史のちがう言葉をそのまま今の日本にもちこむのはあまり関心しませんが、
私はこれを日本流に応用してみたら、と思っています。
日本流とは、自分の死だけではなく、お墓のご先祖様も含めて「死を思え」と。
≪よいお墓≫に戻ります。
私が言いたいことは、
お墓は「人生」や「魂」の問題と切っても切れない、ということです。
遠藤さんはこの本で、「人生にとって家族はかけがえのない大切な存在である」
ことを現代の日本人に強く訴えたかったはずです。
(日本人とお墓シリーズ「先祖供養ってな~に」参照)
次回は、日本人とお墓シリーズ 小畠 宏允著
「よいお墓ってあるの」の続きをお話します。