お彼岸ってな~に②
みなさん
こんにちは営業の川原田です。
お彼岸ってな~に
の続きです。
聖徳太子とお彼岸
ところが「今昔物語」巻第十一にある
「聖徳太子、天王寺を建てる物語」に
「天王寺の西門に、聖徳太子はみずから
(ここはお釈迦様が説法をされたところ、極楽浄土の東門の中心にあたる)
とお書きになりました。
そこで天皇、公家、お坊さん、民衆にいたるまで
さまざまな人々が西門で阿弥陀様の念仏をとなえ
今日まで絶えることがなく
お参りしない人はいない」とあります。
こうした言い伝えがあるので
聖徳太子のころは「お彼岸」があった、というのです。
桓武天皇もすでに
四天王寺へ801年の春彼岸にご臨終されました。
四天王寺はお彼岸の中日(春、秋分の日)に
真西に夕日が西門の石の鳥居の中に沈みます。
この鳥居が「極楽の東門」です。
ここに入る夕日をおがみアミダ様の西方浄土(極楽浄土)へ
極楽往生を願う、という信仰がうまれました。
後白河法皇など多くの法王や天皇
藤原一門の貴族や歌人たち
それに天台宗の開祖・最澄、浄土宗の開祖・法然
鎌倉幕府を開いた源野頼朝などの武士
また一般民衆もおおぜいお参りした記録が残っています。
それは、一千年後の現代にも生き続けています。
春と秋のお彼岸は多くの人が夕日を拝みに
四天王寺一帯にいまも「夕陽丘」という地名も残っています。
次回につづく