お墓のかたち⑤
日差しが強い日が増えてきました。外で運動や作業をするなら早朝や夕方を選んで、熱中症の対策をしていきましょう。
さて、今回もお墓の歴史や今の形式になった経緯などを少しお話ししていこうと思います。
神式
江戸時代以前には仏式の墓が主流であった。明治時代の神仏分離政策(神道と仏教、神と仏、神社と寺院とをはっきり区別させること。)が行われ、神葬祭用の墓が建てられるよう政府が公営墓地を急造したようです。これにより民営墓地以外でも神道の墓が建てられるようになった。神道では死は「穢れ―けがれ」(忌まわしく思われる不浄な状態。)とされていることから、通常は神社境内に墓地を造ることはありませんが、神社が事業主体となった神道専用の墓地もあるようです。神式の墓は一般には「神道型」と呼ばれる神式の三段墓で、通常の和型三段墓と似ていますが、竿石の上部が「兜巾-ときん」と呼ばれるピラミッド型になっていることや、焼香を行いませんので、香炉の代わりに「八足台-はっそくだい」と呼ばれる神様へのお供え物を置く台など、見た目にも特徴的なお墓の仕様になっています。
奥都城と奥津城
神道型のお墓の竿石正面彫刻には「奥都城」又は「奥津城」と彫られます。「奥-おく」は「奥深い」や「置く」という意味。「都・津-つ」は「~の」の意味で、墓所の近くに海・川・湖・池などの水場がある場合は「津」、それ以外は「都」となるような使い分けがされているようです。「城-き」は棚・壁などで四辺を取り囲んだ一郭の場所を意味し、繋げると「奥深い所にあって外部から遮られた境域」ととらえられているようです。
仏式・神式とさらには宗派や地方の風習などがあり、それぞれにお墓の持つ意味が違うことがわかりました。どんな形お墓を建てたいかというよりも、どのように供養したいか、又は祀りたいかという想いが、自然と求めるお墓の形に現れるのかもしれません。