笠置寺②
笠置寺(かさぎでら)
皆さんこんにちは
営業部の川原田です。
前回からの続きです。
笠置寺の
創建については諸説あって定かでないようです。
『笠置寺縁起』には
白鳳11年(682年)大海人皇子(天武天皇)の創建とあります。
一方で『今昔物語集』巻11には笠置の地名の起源と
笠置寺の弥勒磨崖仏の由来について、次のように伝えています。
◆ゆるぎ石。当時は石も立派な武器だんたんですね。
天智天皇の子である大友皇子はある日
馬に乗って鹿狩りをしていた時、笠置山中の断崖絶壁で立ち往生してしまいました。
鹿は断崖を越えて逃げ去り
自らの乗る馬は断崖の淵で動きがとれません。
そこで山の神に祈り
「もし自分を助けてくれれば、この岩に弥勒仏の像を刻みましょう」
と誓願したところ、無事に助かりました。
大友皇子は次に来る時の目印として、自分の笠をその場に置いていった。
これが笠置の地名の起こりでだそうです。
その後、皇子が再び笠置山を訪れ誓願どおり
崖に弥勒の像を刻もうとしたところあまりの絶壁で思うようにいかない。
しかし、そこへ天人が現れ、弥勒像を刻みました。
これが笠置寺の弥勒磨崖仏の由来だそうです。
以上の話はむろん伝承にすぎませんが
笠置寺の始まりが弥勒磨崖仏造立であったことを示唆しています。
◆この上で法螺貝を吹いていだそうです!歴史を感じます!
『東大寺要録』元慶元年(879年)条に
「笠置寺八講始行」とあるのが笠置寺の文献上の初見でありますが
実際の創建は奈良時代にさかのぼるものと言われているようです。
次回に続く