やまとのスタッフブログ

日本のお墓・その原点と歴史


こんにちは。佐々木です。

今、青森県は津軽地方を中心に、コロナウイルスで

大変な状況となっております。

あらためて「3密」を意識した生活を

心がけたいと思います。

さて、本題に入りたいと思います。

どうぞお付き合いください。

 

日本人のお墓の原点?・・・三内丸山遺跡

 

三内丸山遺跡と言えば、青森県民が誇る縄文時代の遺跡です。

「お墓に何の関係があるの?」と思われる方も

いらっしゃるかもしれませんが、実はこの三内丸山遺跡が

「日本人のお墓の原点」なのです。

遺跡発掘調査の際、当時住んでいた人々の集落跡が発見されました。

そこには、海から村落へと続く道路沿いにたくさんのお墓を造って

いることが判明したのです。

 

村に入るときには、必ずお墓の前を通らなければ

集落には着けない地形になっています。

おそらく人々は、海からの恵みを村に運ぶ際、

「今日はこんなに大漁だったよ」と報告したり、

捧げものをしていたのではないでしょうか。

まさに現代のお墓と同じように、亡き人に語りかけていたのですね。

また、大人のお墓とは別に、子供のお墓を自分たちが暮らす家の

すぐそばに造っていたそうです。

その光景に、縄文人の愛情が感じられませんか?

お墓の原点が青森にあるということは、

本当に誇らしい気持ちになります。

 

お墓の歴史は新しい!?

 

このように日本人にとって、亡き人を敬い

身近に感じていたことは、仏教が伝来する何千年も前から

人々の心に根付いていたものと考えられます。素晴らしい!

では、現代のように「お墓」としての形が出来上がったのは

いつ頃かというと、意外と新しく江戸中期の頃からだと

言われております。

しかし、その頃はまだ一部の富裕層を中心としており、

一般庶民には遠い存在だったようです。そして時代を経て、

昭和30年代にようやく日本が豊かになり、

霊園という形態の墓地が定着したことがお墓の広がりへと

結びついていきました。

もちろん心のゆとりが徐々に生まれてきたことも

要因かと思います。

また、ひと言で「お墓」と言っても、

その捉え方にも変化が見られます。

元来は一族で守るという意識がありましたが、

戦後の新民法によって家族制度が希薄となり、

一家の墓から個人の墓へと考え方も多岐に

わたっていくようになりました。

 

お墓は心のよりどころ

 

みなさん、お墓参りに行かれた時の事を

思い出してみてください。お墓を掃除し、お花やお供物を捧げ、

手を合わせてご先祖様を思い浮かべるのではないでしょうか。

家族の健康を願ったり、普段の生活の中で起きた様々な事や、

中には悩みごとなどを語りかける方もいらっしゃるかと思います。

そんな時、何となく心がすーっとすることはありませんか?

私たち日本人は無意識のうちに、お墓を心のよりどころとして

捉えているのではないでしょうか。

時代の流れによってお墓も変化を遂げておりますが、

この心だけはいつまでも持ち続けたいものですね。

 

営業部・佐々木隆夫

やまと石材

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