やまとのスタッフブログ

三内丸山遺跡


こんにちは川原田です。
 先日、葬墓民俗学者の第一人者と言われる、
石文化研究所の小畠宏允先生の勉強会に行って参りました。
 実は小畠先生に師事してから早いもので
今年で6年目になろうとしています。(当社社長と)
s-小畠先生小畠先生講義写真
◇小畠宏允先生。講義風景写真。
 今でも忘れはしない入会当時の課題図書が、いきなり「プラトンの哲学」
プラトン!?・・・だれだ?だれなんだ?
おそるおそる読んでみると、これは日本語か?と混乱したほどです(笑)
 その後もソクラテスからカッシーラまでたくさんの哲学者たちが
お見えになり、まさに頭から湯気状態でした(笑)
 その勉強会も6年目に突入し、お墓の意味そしてお墓の大切さを
あらためて考えさせられています。
s-小畠先生小畠先生と2ショット
◇小畠先生との2ショット写真。6年間お世話になっております(笑)
 さて、いきなりですが皆さんは
青森市の「三内丸山遺跡」に行かれたことはありますか?
 実はこの三内丸山遺跡は、日本人のお墓のルーツ(原点)と
いってもいいくらいの遺跡だそうです。
え?そうなの!と思われた方もいるかも知れません。
 そこで今回は勉強会でも話題になりました「三内丸山遺跡」の
紹介をしたいと思います。
少しだけお付き合いくださいね。
s-三内丸山遺跡三内丸山遺跡
◇六本柱の建物の復元。見張り台、天文台、神殿などの説があるが・・・。
 三内丸山遺跡は縄文時代の遺跡です。
縄文時代に、ここに住んでいた人々の集落の跡が残っていました。
 そんな三内丸山の縄文人は、海から村落へと続く道路沿いに
たくさんのお墓をつくっていたのです。
 遠く離れたところでなく村に入るときに
必ずお墓の前を通るところに埋葬していました。
 そしてこれは海から交易品や、魚介類の食料を村に運ぶ際に
お墓に捧げたり報告したのではないかということです。
s-三内丸山遺跡三内丸山遺跡-イラスト
◇縄文人にとってお墓は生活の一部だったんですね。
「こんなすばらしいヒスイや黒曜石がきたよ」
「今日も豊魚だったよ」とまさに、現代のお墓と同じように
お墓に語りかけていたのですね。
 また大人のお墓とは別に、子供のお墓を自分たちが暮らす
家のすぐそばにつくっていたそうです。
その光景からは縄文人の愛情がみえてなりません。
 縄文人はとても亡き人を大切にし、亡き人を敬っていたのですね・・・。
長くなりましたが、これが三内丸山遺跡がお墓のルーツといわれる理由です。
 皆さんもぜひ一度、三内丸山遺跡に足を運んでみてはいかかでしょうか?
少しでも、お墓のルーツに触れることができるかもしれません。
もちろん今は豪雪で行けませんけどね(笑)
写真紹介-川原田-小

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